ゲストハウスに宿泊すると、懐かしい田舎の日本行事体験が無料です。
年末年始の買い出しの時期になりました。
しめ縄、門松、鏡餅、おせち、お花、お餅・・・
「忙しいから、これでいいか」と
ずらーっと並んでいる既製品を買うことがおおくなりました。
ほんの数年前、子供が小さかった十年前には
当たり前に家族総出で手作りしていたものばかりです。
私自身が子供のころには
父親が山から松飾と門松と花餅飾り用の
木や松などを取ってくると正月準備が始まりました。
沢山ある障子を張り替えるのも一家総出でした。
12月28日は餅つきの日で、特に記憶に残っています。
前夜のうちに餅米を水に浸し
夜明けとともに蒸しあげて
日が昇るころには土間で、石臼や木臼でつき上げました。
まずはお鏡をまるめて午後には地元の神社に納めにもっていきました。
切り餅にするために伸して、夜に切り分けます。
四角に切った端を細長くきりだして、食紅も使って花餅にしあげます。
子供の仕事と大人の仕事が決まっていて
みんなに何かの仕事がありました。
手間暇かかるものばかりです。
だから忙しかったのですが、この手間暇を既製品に置き換えた今は
もっと忙しさに翻弄されている気がします。
はっと気が付いたら
当たり前だと思っていた事柄が
もう消えていく寸前だという現実に驚きます。
便利でお金で解決できるからいいじゃないか。
それはそうです。自分もそうしている部分がほとんどですから。
でも、一抹の寂しさも感じます。
生きていくという事は変化していくことです。
だから、何かがなくなったり途絶えてしまうのは仕方ありません。
それでも、知っていてやらないのと、知らずにできないのは違う気もします。
単なるセンチメンタルではなく
変化の多様性の一つとして
なくなろうとしている記憶を体験として残せないかな?
そう考え「付知ばあちゃんち」では
宿泊すると体験無料、のシステムを採用することにしました。
(材料費がかかる場合は、材料費のみ別途いただきます)
面倒です。
体験の提供は、経験者や先生を探しお願いすることから始まります。
道具も見かけなくなっていますから探さなくてはいけないし。
きっと素人臭さ満載の提供具合になることでしょう。
それでも、構わないと思っています。
それよりも、無くなる前にやってみることに心が動きます。
人は誰もが子供のころの記憶を持っています。
自分が生きてきた体験で今の自分が作られています。
自分の中に眠っているアイデンティティ(自分らしさ)を
時々揺り起こしてみると、明日から生きる気力になるのです。
不思議な感覚かもしれませんが・・・
疲れたり迷ったり恐ろしかったりするときに
実家や育った町に戻りたくなるのは、だからかな、と思います。
多くの体験をしてもらえるように企画を始めています。
担当は20代女子です。(私ではありませんよ。念のため)
自分も体験したことがないからこそ
参加したいと思ってもらえる企画になるはず!(です)
来月2019年一月からリノベーションが始まります。
3月にプレオープンする予定です。
最初の体験から楽しいものにしたいと唸っています。
体験スケジュールがきまったら、またここでお知らせしますね。
楽しみにお待ちください。