【つけち日和】今日はお参り日和編8・国造神社

~今日はお参り日和編8・國造神社~

岐阜県中津川市付知町にある國造神社。

町道から少しだけ奥に入っていくと國造神社(こくぞうじんじゃ)があります。

子どもの頃は國造神社の裏に遊びに来ていました。今はもうありませんが、昔の保育園の跡地に遊具だけ残っていたんですよね。

國造神社について

≪社格≫
元村社

村社(そんしゃ)
 旧制度の社格の一つ。郷社の下、無格社の上。多くは、氏神として仰がれる社を村社にした。

≪祭神≫
大己貴神(おおなむちのかみ) 国つくりの神

*神様について詳しく:【付知の神様図鑑】國造神社編

≪由緒≫
 創祀未詳。
 延宝2年(1674)10月再興の旧記あり。

≪境内社:祭神≫
・山神社(やまがみしゃ):大山祇命(おおやまつみのみこと)
・土公社(どこうしゃ):猿田彦命(さるたひこのみこと)
・天満社(てんまんしゃ):菅原道真(すがわらのみちざね)
・稲荷社(いなりしゃ):宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)
・熊野社(くまのしゃ):家津御子神(けつみこのかみ) 熊野久順命(くまのふすみのみこと か?) 速玉之男神(はやたまのおのかみ)

   参考図書:付知町史

今回もスタッフ一人でお参りです。
季節は記事を書いている秋に追いつきました。
通いなれた裏道をてってこ歩いてたどり着いた國造神社。
なにやら表の通りが見えることに気がつき、さっそく確認してみると…見覚えしかない町道にでました。
ここさっき近くまで来ましたよ(;^_^A
ということで、町道からの道をご案内。

「回生堂医院」さんと駐車場の間の小道を通ると國造神社です。

付知町にある國造神社へ続く小道。回生堂さんのお隣です。
付知町にある國造神社へ続く小道。奥に石灯籠が見えています。

はい。改めて國造神社です!
常夜灯と彫られた石灯籠が大きい!

付知町の國造神社。本殿は社務所のようなつくり。
付知町の國造神社にある石灯籠。常夜灯と彫られている。

國造神社は手水舎というか、たんに水道です。
お祭りの日に係の人が使う感じ。
でも、お水は出るのでありがたく清めさせてもらいます。

付知町の國造神社にある水道。学校の運動場とか思い出すタイプ。

本殿にお参りしてきますね。
お参りしたあたりから日が出てきて、ちょっと輝いた写真が多くなりました。
神様が明るくしてくださったのかな?

付知町の國造神社の本殿。石鳥居がある。
付知町の國造神社の本殿。木の格子にガラス張り。

お賽銭箱は社の中にしまってありました。
ガラス窓の一部が木製の戸になっていて、ここからお賽銭を入れるタイプ。
ちゃりんとお賽銭しながら、冬の弓道場を思い出すスタッフ。
(寒いので戸が閉められて、小さなガラス窓から的を射るのが冬の弓道スタイルでした。)

付知町にある國造神社のお賽銭箱。この格子の間からお賽銭をいれます。

鳥居の柱になにやら気になる文字を発見。
『紀元前千六百年』
前は別の字のような気もしますが、こんな感じ。
國造神社は創祀未詳。詳しい記録は全然残ってないので、もしも付知にそんな昔から人が住んでいたならありうる…のか?
いやいや、その頃日本はまだ弥生時代なので、たぶん神社はないですね。
神様の関係かな? うーむ、謎は深まるばかり。

付知町にある國造神社の石鳥居。裏に数字が彫ってある。

付知町史によるとたくさんあるらしい境内社は一つも見つけられず、残念でした。
もしかしたらどこかに移してしまったかもしれないですし、本殿の中に祠があったりするのかも?
でも、読めない石碑はありました。
うーん…早川とか深谷とか人名らしきものが読み取れるので、奉納者一覧とかでしょうか。

付知町の國造神社にある石碑。かすれていてほぼ読めない。

こんなところに蓋がありました。
地面に蓋ということはもともとは井戸でしょうか。
よう開けなんだので、そのまま通過。

付知町の國造神社にあった蓋。井戸のあとかな。

石灯籠の台座に丸い穴がいくつかありました。
上の木から垂れてきた水滴で空いたとか?
でも、この木はもっと若い気がします。
もとからあったとかですかね。

かめ穴っぽい穴。
付知町にある國造神社の樹木。

國造神社(こくぞうじんじゃ)

〒508-0351 岐阜県中津川市付知町6745 番地の1

【行き方】

車:中津川インターから車で約50分

バス:中津川駅からバスで約50分
   バス停「回生堂」下車、徒歩約1分。
   「回生堂医院」の前を通り、「回生堂医院」と駐車場の間にある小道に入る。
   目の前が國造神社。

〓「つけち来たならココ行かな!つけち日和」とは?〓
付知ばあちゃんちスタッフによる付知の観光情報ブログ。
付知生まれ付知育ちのスタッフが現地へ行き、撮影・レポを書きます。