【付知の神様図鑑】若宮神社編

~付知の神様図鑑 若宮神社編~

若宮八幡神社の御祭神

応神天皇(おうじんてんのう)

仁徳天皇(にんとくてんのう)

大雀命(おおさざきのみこと)

応神天皇(おうじんてんのう)

 第十五代天皇。

 誉田別之命(ほんだわけのみこと)。八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)。胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)。

 日本で二番目に大きい前方後円墳である誉田山古墳(こんだやまこふん)に埋葬されているという。

 神功皇后(じんぐうこうごう)の子であり、仁徳天皇の父親である。
 その腕の肉が弓具の鞆(ほむた)のように盛り上がっていたことから弓術の達人とも評されるため、武の神(弓の神)とされる。また、立身出世の神でもある。
 奈良~平安時代頃に八幡大菩薩と神仏習合した。

 

≪ご利益≫

武勇長久。勝利祈願。出世開運。

 

…応神天皇陵古墳とも。詳しくはこちら『応神天皇陵古墳/羽曳野市』。

仁徳天皇(にんとくてんのう)・大雀命(おおささぎのみこと)

 第十六代天皇。

 大雀命。応神天皇(八幡神)の子。八幡神社の祭神の子であるので仁徳天皇を祭神とする場合は、若宮八幡と社名をすることが多い。

 日本最大の前方後円墳である大仙古墳(だいせんこふん)に埋葬されているという。

 応神天皇は御子の大山守命(おおやまもりのみこと)に山と海の政務を、大雀命に国政を、末子の宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)に皇位を継承するようにといった。しかし、応神天皇がお隠れになった後、天皇の意思に従って天下を弟の宇遅能和紀朗子に譲った大雀命と違い、大山守命は己で天下を取ろうとした。この時、大雀命は弟を手助けした。大山守命を返り討ちにした宇遅能和紀郎子だったが、天下を治めるのは兄の大雀命のほうがいいだろうと天下を譲るが、大雀命も応神天皇の遺言もありこれをまた弟に譲る。そうした譲り合いをしているうちに宇遅能和紀朗子が亡くなってしまい、大雀命が天下を治めることになった。
 仁徳天皇が高い山に登り、四方の国土を見て、「かまどの煙が立っていない。国民はみな貧しいのだ。これから三年間は国民の労役や貢物などの税金をすべて免除せよ」といった。そのために宮殿が雨漏りしても修理をせず、ほころびた宮で暮らした。その後再び山に登って国土を見渡したところ、民のかまどから煙がのぼるようになっており、人々が豊かになったのを知った仁徳天皇は、ようやく課役を復活させた。こうして国民の暮らしはよくなり、労役に苦しむこともなくなった。それで仁徳天皇の世を「聖帝の世(ひじりのみかどのみよ)」という。仁徳天皇は土木工事など多くの事業も執り行っている。
 仁徳天皇は女性関係の多い人物でもあった。応神天皇が美しいと噂の髪長比売(かみながひめ)を呼び寄せようとしたときに、難波津(なにわづ)に着いたその娘を見て心動かされ、大臣の健内宿禰(たけしうちのすくね)に彼女をくださるように天皇にお願いしてほしいと頼んだ。結果、天皇は大雀命に髪長比売を与えている。
 皇后の石之日売命(いわのひめのみこと)は嫉妬深く、仁徳天皇はほかの妃を宮殿に置くこともできなかった。天皇が呼び寄せた黒日売(くろひめ)は皇后の嫉妬により追い出されている。石之日売命が新嘗祭(にいなめさい)の後に開かれる酒宴の準備に紀伊の国まで出かけている間に八田若郎女(やたのわきいらつめ)と結ばれて、昼も夜もなく遊んでいるという話が皇后の耳に入り、家出をされる。そして、直接迎えに行くまで帰ってこなかった。

 〽高き屋に のぼりて見れば 煙立つ 民のかまどは にぎはひにけり
 (たかきやに のぼりてみれば けぶりたつ たみのかまどは にぎわいにけり)
後の世に仁徳天皇を偲んで仁徳天皇の行いを詠んだと思われる歌。諸説あり。

 

≪ご利益≫

平穏安寧。国家安泰。国家安寧。

 

…仁徳天皇陵古墳とも。詳しくはこちら『堺観光ガイド/仁徳天皇陵古墳』。

 

 

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